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「あきの」

 

 

そう、いつだって彼女と私は一緒なのだ

それが通常、なのだ

 

 

 

 

   惰性 一

 

 

 

 

 

 

「おはよう」

 

薄く目を開けると香澄が顔をのぞきこんでいた

私は少し恥ずかしくなって目を背けた

 

「…だから、寝顔見んなって」

 

怒ったように拗ねて見せると香澄は嬉しそうに微笑んだ

 

「ごめんね、朝ご飯なにがいい?」

「んー、トースト」

「りょーかい」

 

目を擦っている私の頬にキスをして軽い足取りで香澄は寝室を出て行った

 

ため息をつく。それは嫌悪ではなく安心感からだった

今目の前にあるものは 幸せ、だけだった

 

 

 

 

「おはようございます」

「おー、おはよう」

 

私は小さな印刷所で働いている

一応、社長である笹山が新聞の方を見たままで挨拶を返してきた

 

「最近どうよ」

「どうって…そんな毎日変わった事なんてありませんよ」

「そうだよなー、あーあ宝くじあたんねえかな」

「買ったんですか?」

「いや、買ってないけど」

「……そうですか…」

 

いつものなんの脈略もない会話を済ます

この人はいつもこうなのだ

特に意味もない、くだらない会話をする

要するに、暇なのだ。

 

「彼氏とはどうなの?」

「、まぁ普通です」

「普通ってなんだよ!」

 

がはは、と大きな口を開けて笹山が笑う

特に面白いことは言っていないのだが今のは当たり障りのないように返事をしすぎたな、と思った

そこまで警戒する必要はないのだが 恋人 の話になるとやはり少し引いてしまう

 

「まぁ、仲良くやってますよ」

「そうかそうか、そりゃいいこった」

 

自分から聞いてきたのにも関わらず興味は薄そうだった

だが深く突っ込まれるよりは助かる

私は嘘が下手なのだ。

おしゃべりも早々に私は自分の仕事に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

部屋の入口に立ってドアノブを回す

玄関の鍵は開いていた

香澄は私が帰る三十分程前に鍵を開ける習慣があるそうだ

 

 

「おかえりー」

「ただいま」

 

小さな下駄箱の前でヒールを脱ぐ私の背中に香澄が抱き着く

 

「んー…」

「なに?」

「インクみたいな匂いがする!」

「そりゃ、ね」

 

困ったように笑う私の顔を覗き込みながら香澄も笑う

無邪気で子供のような笑顔だった

 

「この部屋はカレーの匂いだけどね」

「そう、今日はカレーなの」

「味見はした?」

「この間よりは美味しくできたかな?多分」

「多分って…」

 

笑いながら二人でリビングに向かった

 

 

 

「「いただきます」」

 

「今日社長がね、」

「あー、あの例の適当な人?」

「そうそう、ーーーーー」

 

 

たわいもない会話をしながらご飯を食べる

ふ、と。

あぁ幸せだなぁ、なんて香澄の顔を見ながら思う

 

そう、これが私が望んだ幸せの形

誰にも邪魔されない

誰にも干渉されない

 

望んだ、二人だけの、  世界  。

 

 

 

 

「あきのぉー」

「なにもう、暑いよ」

「ひどいー、冷たいよ!」

「はいはい、おいで」

「んー」

 

 

香澄の手を取って半ば強引に布団に引きずり込む

早く寝かせないとこの子は布団の中で喋り続ける

 

「あきの、明日お休みだよね?何しよっか?」

「どこか行きたいところは?」

「んー、家でDVD見よう!二人っきりがいいの」

 

お互いにそれを望んだのだから

もう誰にも私たちの邪魔はできないのだ。

 

 

 

 

「おやすみ、香澄」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「いやだぁ…」

 

 

そういって香澄はとても不服そうな顔で私の顔を見ている

 

「ダメ、ていうかいっつもいるんだから掃除くらいしてよ」

「えー!」

「えー、じゃないの!」

 

そう、今私の部屋は半分ゴミ屋敷のような佇まいになっている

半分、というのも香澄の部屋だけが汚いのだ

 

借りているマンションはリビングの他に寝室とお互いの部屋が1つずつ

寝室は二人で使っているからいいとして

香澄の部屋はまるで片付けを嫌がった子供が限界まで汚した、とでもいうのだろうか

平たく言うとおもちゃ箱をひっくり返した、そんな感じだ

 

「どこから手つけたらいいか分かんないね…」

「そうそう!だから片付けなくていいよ!」

「そうじゃないでしょー…もう」

 

片付けられたくなくて香澄は必死だ

見られたくないものなんてもうないだろうに

きっと散らかしたのが恥ずかしいのだ

片付けてもらえるんだから大人しくしていればいいのに

 

「服をさ、洗えよな」

「それ洗ってあるもん!」

「ホントにー?じゃあなんで畳まないの」

「うー…あきのお母さんみたい!いや!」

「いやじゃないでしょー」

 

落ちている服を拾っている間もそわそわと私の周りを忙しなく歩き回る

 

「ねぇー…DVD見ようってー…」

「だーめ、これ終わったらね」

「でも、」

「でもじゃないよ、前からやるっていってずっとやらなかったのは香澄だよ」

「……もういい」

 

香澄は怒って部屋を出て行った

怒るのは私でしょ

 

「ふー…子供なんだから…」

 

 

 

 

 

 

「これで半分終わったかな」

 

やっとフローリングが見えてきた、服を畳んで閉まっての繰り返し

時計をみると既に1時間程経っていた

リビングからはなんの音も聞こえない

きっと香澄は拗ねて寝室で寝ているはずだ

 

 

 

「ん?」

 

二人掛けの小さいソファの下から微妙に布が出ていた

 

「こんなとこまで服入り込むか?」

 

掴んで軽く引っ張ってみたものの抜けそうにない

ソファの足が噛んでいるのか

 

「めんどくさいなぁもう」

 

仕方がない、ソファを持ち上げてみるか

 

 

「よっと」

 

結構重さがある

持ち上がったところではみ出ている布を足でひっぱろうとした

 

 

 

 

 

「ねぇ、なにしてるの秋乃」

 

 

 

 

 

ゴトン、手を離した所為か微かに上がっていたソファは定位置に戻った

 

「え、何って、布が、下に挟まってて」

「そんなことまでしなくていいから」

 

すたすたと香澄はこっちに歩いてくる

何か、怒っている?

私の心拍数は何故だか分からないけど上がっていた

 

そう、なにか、悪いことをしているときのような。

 

「早くこっち」

 

香澄が私の手を引く

 

「綺麗にしてくれてありがと!もう大丈夫だからDVD見よう、ね?」

 

よかった、いつもの香澄だ…

 

「う、うん。そうね」

「どれから見よっか!」

 

 

私の後ろ手にドアがバタン、と音をたてて閉まる

 

そうきっとこれでいいのだ

彼女はきっと何かを隠しているけれど

私の手を引きながら鼻歌を歌っている彼女をみてそう思う

これ以上は模索してはいけない

頭の中で警告音がなる

私は

何かを

忘れているような

 

 

『秋乃が、二人で幸せになりたいって、いったんだよ?』

 

 

はっ、として彼女の方を見た

彼女は楽しそうにコーヒーを入れている

でも今確かに香澄の声が頭の中に聞こえた

 

「・・・疲れてんのかな」

「ん?なんか言った?」

「いや、別に…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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